愛用の弓を抱えて、長いこげ茶色の髪を青いリボンで止めた少女がプロンテラの南門を抜け、大きく伸びをする。
 少女は、気合を入れるように自分の顔をパンと叩くと、街道に足を踏み入れた。
 此処からフェイヨンまでは急いで帰っても、徒歩だとゆうに2日はかかる。
 別段急いでるわけでもないので、ゆっくりと一歩を踏み出した。
「コーちゃんだって、シンちゃんとソリュちゃんと一緒に行きたいよ~」
 そう呟いた少女―― コーラル=ピンク は、ぶすっと頬を膨らませた。
 まだ、日にちはある…。躊躇っても、間に合うようにフェイヨンへの道を歩き出したはずだった。
 何の変哲もない平原を他の冒険者や商人とすれ違いながら、1人歩く。プロンテラに出てくるまでずっと1人だったのだから、寂しくないはず。と、思っていても、今ではすっかりあの頃の自分を忘れてしまったかのように、皆の笑顔がちらついて、1人が寂しい。
 コーラルは、平原を跳ねるポリンを時々突付きながら、先に進んだ。
 フェイヨンへの道は、途中少しではあるが砂漠を通る。道を間違えてしまうと、砂漠の真中に進む事になり、今のコーラルの装備では心もとないものがあった。
 砂漠の先にはモロクと言う街があるのだが、いかんせんフェイヨンまでと比べると、砂漠を横断するリスクもあってか、軽く倍の日数がかかる。フェイヨンとモロクへの分かれ道となる砂漠からだと、何日かは分からないが……
 平原ではまるで弓に手をかけなかったコーラルだが、段々景色から翠がなくなっていき、砂漠に近づいてきている事が分かると、いつでも弦を引けるように弓を握り締めた。
 危ないモンスターは居ないとは言われているが、いかんせんいまだ未知の砂漠。何が起こるか分からない。
 手で扇を作りながら、砂漠を進んでいく。
 まだ、砂漠でも端の方のおかげで、初夏程度の暑さしかないのが幸いだった。
 極力自分のペースを守りながら、先を急ぐ。砂漠を抜け、橋を越えれば、今度は逆に一気にジャングルのように鬱蒼と茂った森がある。
 今日はそこまで行ったら、一息入れて明日に備えよう。
 そう思いながら、先に進んだ。
 1人で歩く事、何も喋らない事、今自分がこうして誰か人恋しい事。全てが不思議だった。自分はいつ、変わってしまったんだろう。
(ちょっと遠回りしてみようかな…)
 そんな事を考えて、コーラルは瞳を伏せ、ふっと笑った。
(やっぱり、躊躇ってるのかな…私……)
 答えの返ってこない疑問を思い浮かべて、コーラルはただ自分に笑ってしまった。
 此方から殴らなければ襲われることはない。
何時の間にか、絶壁の川を挟んだ向こう岸に、青々とした森が見えた。
 どうして、同じ水の恵みを受けていながらこうも違うのか。自然の不思議を目の当たりにして、コーラルは砂漠と森を繋ぐ橋を渡った。
 此処まで来るだけで、大分太陽は陰り、段々白い光からオレンジへと変わってきていた。
 だが、影の位置からすれば、まだ3時くらい……
 目的の距離まで進んではいたが、もう少しだけ先に進む事にした。
 ペコペコが群で住み着いている森を抜け、枯れた井戸が今でも残っているワームテールの縄張りに足を踏み入れる。
 縄張りと言っても、ワームテールはそれぞれを尊重しあって生きているらしく、そこに別の生き物が入ってこようとも自分に危害がなければまるで無関心だった。だからこそ、この森ではスタイナーやダスティネースが自由に走り回り飛びまわっているのだろう。
 のほほ~んとした表情の、草だか動物だか分からないワームテールを避けて、ちょっとした高台に出る。
 これを下れば、後は迷いの森と言われる、フェイヨンの森を抜けるだけだった。
 此処まで来た時には、もう、太陽は朱色に変わっていた。

 

        ◆◇◆

 

 外に跳ねた肩までの金髪を軽く梳いて、少女は音を立てないようにゆっくりとリュックを背負う。
 壁にかかっている時計に瞳を向け、徐に頭に手を伸ばして、真ん丸の度のキツイ眼鏡を瞳に下ろす。
(2時……)
 前々から用意していた手紙が、ちゃんと机の上に有るかどうか確認して、ごくっと唾を飲む。
 眼鏡を頭の上に戻し、音を立てないように慎重に扉を開け、階段を下り、玄関に向かう。
 玄関まで着くと、ゆっくりと家の中に振り返り、深々と頭をさげた。
(お父さん、お母さん、ごめんなさい)
 そして、玄関の扉についている小さな鐘が鳴らないように、慎重に外へと出た。
 パタリ…と、聞き耳を立てなければ聞こえないような音を残して、少女は走り出した。
 だが、その数秒後に、ドテっと勢いよく転ぶ。
 少女は目じりに涙をためて立ち上がると、膝を2・3度払い、また駆け出す。少女がこんな大それた家出を計画したのには理由があった。

 

 いつもの様に、お父さんは薬を練り、お母さんはお客さんの相手をしていた。
 アルベルタの小さな薬屋を経営している我が家は、決して裕福ではないが、貧しくもなかった。
 少女―― エリナ=キュアリス は、いつもの明るい口調とは打って変わって、ちょっと落ち込んでるとも取れるような声音で声をかけた。
「お父さん……」
 いつもと違うと父親にも分かったらしい。薬を練っている手を止めると、エリナに顔を上げる。
「どうした?怖い顔をして」
 娘のしかめ面の理由が分からずに首を傾げるが、はっとその理由が思い当たり、薬に視線を戻す。
「駄目だ。いや、止めた方がいい。エリナには合わない職業だ」
 そしてまた、ごりごりと薬を練り始める。
「エリナお前は頭がいい、そんな犯罪に片足突っ込んだような職になどつかずに、この店を…いや、マジシャンかアコライトになった方がいい」
「お父さん、でも!」
 今までそれで引き下がってきたこの会話も、今回ばかりはそうも行かないらしい。だがあえて父親は耳を塞ぐように薬を練る手を急がせる。
「わたし、それでもシーフになりたいの!」
 今度ばかりは引き下がれない。
「あの人みたいなシーフになりたいの!」
 あの人……
 エリナが小さい時、迷い込んだキノコの森で自分を助けてくれた銀の髪のシーフ。
「シーフは…物を盗む事が本職だ、エリナを助けた事は気まぐれだったんだろう」
 そんなことない、自分を助けてくれたあの人は、とても優しい目をしていた。
「そんな事ないもん、物を盗まないシーフだって……」
 目尻が熱かった。父親はその様子を見て手を止めると、立ち上がりエリナの頭を撫でる。
「そんな顔をするな。エリナは今の生活が不満かい?」
 エリナは俯いたまま首を振る。
「だったら二度とシーフになりたいなんて言わないでおくれ」
 それは出来ない。シーフはあの時から唯一なりたいと思った職業だ。
「ごめんお父さん、わたし、それだけは譲れないの!」
「いい加減にしなさい!」
 エリナは父親の剣幕に一瞬びくついたが、ぐっと唇をかむと、
「わたしはお父さんが言うようなシーフにはならないから!」
 ぐっと父親の瞳を見つめる。
「どうして、子どもの夢を応援してくれないの!?」
 エリナの問いかけに父親は眉を寄せると、
「…人間には、向き不向きがあるんだよ、エリナ」
 正直、エリナにシーフが向いているとは言いがたい。
「お父さんのわからずや!」
 父親に背を向けて、振り返らずに走った。父親の言う事がもっともすぎて、自分が嫌な子になってる事もわかってる。
 それでも、夢を失いたくなかった。
 そんなエリナの背中を見続ける事を躊躇ってしまった。その数秒後、ぼてっとエリナが目の前で転んだことを除けば。

 

 

 今更ながら、家を出る事はなかった様な気がしなくもない。でも、このまま家にいても何も変わらない気がした。
 ドンくさい自分も、ドジな自分も、一生そのままが気がした。
 だから、家を出た。
「えっと……」
 アルベルタから出て、とりあえず先に進もうと早足になる。もし、両親が起きてきて自分がいないことに気がついても追いつけないくらい先に進んでおかなければならない。
 坂を登って、最初から分かれ道に差し掛かった。
 なんだか東に向かう道は入り組んでて、どんどん森の奥に行ってしまうような気がして、南の橋を渡る。
 寝静まった夜は意外にも静かで、ブバの鼓動だけが大きく聞こえた。
(大丈夫……)
 自分にそう言い聞かせて、ごくっと唾を飲む。
 ―――――ポーン
「?」
 後から聞こえた何かが跳ねる音。
 何事かと振り返ると、大きな顔のあるキノコがポーンと跳ねていた。
「い……」
 叫びかけて、両手で自分の口を押さえる。泣きたい気持ちを必至に抑えて駆け出す。
 道を誤ったかもしれない。
 そう思った時には先に行き過ぎていた。
 エリナはただ一心不乱に走った。何度も転びそうになりながら必至に堪えて、全力で走った。
(やだ、やだぁ~キノコ怖いよぉ)
 眼鏡をかけないとはっきりと人の顔も景色も見えないのに、キノコだけはいつも鮮明に見えた。それくらい怖い。
 ただ走っていると、長い大きな橋が見えた。
 あまりの暗さにその先は見えなかったが、このキノコ地獄から抜け出せる気がして、一気に走り抜ける。
 陸につくと、腰を折って膝に手を置き、はぁはぁと荒い息を押さえる。
 だが、一息ついたのもつかの間、横から何かが飛び出した。
「!?」
 エリナは思わず尻餅をつくと、そこには、今まで逃げていた赤いキノコでなく、頭が紫の老人のようなキノコがエリナを(多分)視界に入れて、飛び掛ってこようとしていた。
「いやあああぁぁぁ!!」
 エリナはありったけの声で叫ぶ。足が震えて動かない。
 完全に腰が抜けていた。
 紫のキノコはそんなエリナにはお構い無しに、飛び上がった。
「やああぁぁぁ!」
 エリナはただ頭を抱えて叫ぶしかなかった。