眠気が去り、ゆっくりと瞼を上げると、眠気を感じて座り込んだままの階段の上で顔をあげる。
なぜか足元、お尻の下がふわふわした感じがする。はっと顔をあげると、階段や廊下は赤のビロードの絨毯が引かれ。足音さえも吸収されてしまいそうなくらいの上品な作りだった。
なんとなく無くさない様に、カタナを腰に挿した。
そして、彼女たちの元々の部屋に足を向けるが、
(あれ? この階こんなに広かったっけ…)
最上階のS等室は1部屋か2部屋しか無かったはずなのに、なぜかとてつもなく広い。眠りこける前のような豪華さそのままでその部屋が明らかに増えていた。
上に居ないのならば下に行ったのかもしれない。
そう思い、階段を降りると、なぜか部屋があったはずの階の廊下がバルコニーのように変わり、吹き抜けの天井のようにシャンデリアが目の前に飛び込んだ。
しばし、呆けたように口をあんぐり開けると、大量の音が一気に耳を貫いた。
弦楽器の音色。ピアノの旋律。
優美な笑い声が薄く耳に入る。
(え……?)
豪華なドレスやタキシードを着たたくさんの人が目に映る。いかにもお金持ちと思わせる上品な笑いと、優美な身のこなし。
やはり呆けた口のままバルコニーから下へ続く階段をゆっくりと降りる。半円の形にカーブを描いた、どこかの映画のような作りの階段を降りると、今まで見下ろしていた光景が目の前に広がり、やけに場違いなようなバツの悪さを感じた。
落ち込みも束の間、真は顔を上げると一緒にいたはずのキララとキラリの姿を捜すようにきょろきょろと辺りを見回す。
人ごみをかき分ける様にゆっくりと捜す。
「お嬢さん、一曲お相手願えますか?」
そんな人ごみの中、2人の姿を捜していた真に不意に声がかかる。だが、こんな豪華な人たちがたくさん居る中でわざわざ冒険者の剣士の格好のままの自分に声をかけるわけが無いとかってに思い込み、その声を聞かなかった事にした。
だが、声の主らしき人物は真の腕を掴みその歩みを止めさせる。
「あの……?」
おざなりな疑問の言葉を口に紡いだが、掴まれた手を引いて人ごみの中に連れて行かれる。
「ちょっと…!」
流石の強引な行動に真も眉を寄せる。最初は手を引かれているだけだったのが、音楽が変わると同時に優しくリードするような優しい手に変わった。
「あの! ウチ、人を捜してるんですけど」
千鳥足のようなリズムに乗らない足取りで、強引に自分を人ごみの中に連れてきた人物に不満の声を漏らす。
「大丈夫だよ。皆ここにいる。ここの何処かにいる。君はパーティーは嫌いかい?」
不満を口にした真を逆に問う声。今まで顔を見ることもなく自分をこんな事に巻き込んだ張本人の顔を見ようと顔を上げる。
「もう、何も心配は要らない。何も考える必要はないんだよ」
仮面をつけた男の人だった。口元や声に聞き覚えがある気がしたが、オペラの仮面をつけたこの人物が誰なのか真には分からなかった。
おぼつかなかった足取りが、リードする人物のステップ通りに動くようになる。
「君が捜さなくても、君の事を必要としてるなら逆に見つけてくれる」
甘い声だった。考える力を奪うような声音だった。
彼女の目の前には、乗ったはずの定期便と比べたら比べ物にならないくらい古い、むしろ沈没船が地上に現れたように思えるくらい古ぼけて腐食した木で出来た一室に居た。
居たと言う表現は相応しくないかもしれない。むしろ捕われていた。
「わたくしに…あなた達の幻はききませんわ……」
彼女の格好はスカートにきわどいスリッドが入ったプリーストの正装だった。
上品に椅子に座ったその居ずまいに神々しささえ伺える。
「なら、俺達が骨に見えるのか?」
彼女はゆっくりと首を振る。だが、毅然とした表情は崩さない。
4人のタキシードの男性は彼女を取り囲むように四方に立っている。声は発するものの、顔は無表情。
「ですが、わたくしにはあなた達が生きていない事は分かります」
彼女は立ち上がると、護身用で全く使いみちが無いと思われるような鈍器をゆっくりと手に持ち、立ち上がる。
「そんな物で俺達を倒すつもりか?」
明らかにバカにしている。聖職者は本来殴る事や切ることではなく、むしろそうして出来た傷やその癒しの力で不死者を浄化させる事が仕事だ。
彼女は天使のようににっこりと笑うと、両手で徐に鈍器を持ち、その笑顔のまま鈍器を振り上げた。
「安らかなる眠りを…」
彼女の鈍器で殴り飛ばされた1人の男性は、壁にぶつかるなり渇いた音をたて、床に骨が転がった。
床に転がった骨を見て、じりっと後ずさる男性等に彼女は笑みを絶やすことなく鈍器を凪いだ。
―――――床には黒く汚れた骨が4体分転がった。
確か、この船の搭乗人数は船員・乗客合わせて28人。内、船員・10人の乗客18人。から自分を引いて27人。この幻に捕われている可能性がある。
大聖堂で過去読んだ文献に、似たような記述があった気がする。アルベルタの近くに沈んだ海賊船だったか、乗客船だったかの話。分かっていることは、その船の船長の名がドレイクだったという事と、その沈没船が浄化なり封印されるまで、かの船長の亡霊が現れたという記録。
まさか、伝説や伝承のみとなったあのドレイクが復活したとでも言うのか?
真実は全く分からない。
言える事は、この船の中が自分には効いていない幻で出来上がっているという事。
幻と現実が混ざっていると言う事。
もし、推測が正しければドレイクを倒せば、この幻が消えると言う事。
彼女は、ただ鈍器を握り締め、ただ肌がぴりぴりと感じている瘴気の濃い方へと歩いていた。
部屋を出るなり、行き成り目の前の画面が今まで乗っていた定期船の内装から、豪華な赤い絨毯を引き、廊下に金の小さな明りが等間隔で灯っている。そんな錯覚に襲われる。精神が幻と現実を行ったりきたりしている。
「姉さん! 姉さん!?」
彼女が現実の廊下を歩き、階段に差し掛かったところで、女性の切羽詰った高い叫び声が聞こえた。
「良かった!」
彼女は自分以外にこの幻から抜け出している人が居たことに安堵の息を漏らして、駆け足で階段を下る。
踊り場で、小さなピンク色の頭の商人を抱えている、黒に近い濃紺の髪の女性がその小さな肩を揺すっていた。
「プリーストさん…?」
その数段上で、藍色の髪のこちらの剣士の少女が意識を失っている。女性は彼女に向けて顔を上げ、職業名を叫ぶ。
「よかった……」
彼女はペタリと座り込み、
「正直わたくし一人で、どうやってこの状況を打破したらいいか分かりませんでしたの」
そう言って、女性の手を握る。握った手から、かすかに感じる聖の波動。
「あなたは…?」
女性は、彼女に向けて素直に聞いてくる。
「わたくしは、
突然現れたプリースト―― 八間下 麻魚 の言葉に、女性は驚きに一瞬瞳を大きくして、ふっと息を吐くと、
「プリさんには分かっちゃうのね…。そう、私はこんな格好だけどちゃんと騎士よ。名前は、希楽 キラリ」
通常の
「当たり前ですわ。騎士の座に着く者は、剣を国に捧げ、祝福を大聖堂から与えられるのですもの。それより、これからどうしましょうキラリ様」
様付けで呼ばれた事に痒い物を感じながら、キラリは姉の顔を見つめ、眉を寄せる。
「…今、この船内で起きてるのは私達だけなのかしら」
「それは、分かりません……」
でも、と言葉を続け、麻魚は立ち上がり、触媒であるブルージェムストーンを手に持つと、
「気休めにしかなりませんが……」
そう小さく言うと、長い詠唱を唱える。
その詠唱は船内に光の魔方陣を描いて行き、辺りを明るく照らした。
「マグヌスエクソシズム!」
最後の発動句と共に、魔方陣からは今までで一番大きな光が上がった。その光は、今まで瘴気に覆われていたこの場所から、一気にそれを吹き飛ばす。
その瞬間、キラリの腕の中の少女と藍色の髪の少女の眉がピクッと動いた。
「ダメ……」
千鳥足に近かったダンスのステップを止めて、真は我を思い出したように呟く。
リードしてくれていた仮面の男性の口元が、少し歪む。
「やっぱり、ダメ! ウチは自分で捜します!!」
男性の胸を思いっきり押し、眉を寄せる。
この人は優しかった。でも、ここは自分の居場所ではない。
男性は一瞬悲しそうな顔をした気がしたが、ぐっと唇を噛み背中を向けて駆け出す。すると、突然足元がぬかるんだ土にはまったようにおぼつかなくなり、視界が陽炎で歪んだかと思うと、一気にシャットアウトした。
「う…ぁ……」
視界が真っ暗になったと思ったら、米神辺りにキンとした痛みが走り、ゆっくりと瞳を開ける。
「真!?」
瞳を開けた瞬間目の前にキラリと知らない女の子の顔が自分を覗き込んでいた。
「!?」
驚きに瞳を大きくして辺りを見回すと、意識を失う前の連絡船の中だった。
「あ…あれ?」
最初に眼を覚ました時の豪華客船は何処へ行ったのだろうか?
「良かったですわ…目を覚まして」
真の知らない女の子は、ほっと胸を撫で下ろし、ふーっと息を吐く。
改めて少女を見ると、その格好は大聖堂のプリーストだった事に首をかしげる。
「わたくし、八間下 麻魚と申します」
ぺこりと頭を下げた麻魚に真もつられて頭を下げ、
「ウチは、出雲 真です。あの、一体何が起こったんでしょうか?」
気を失った自分とは違い、麻魚とキラリはそんな自分を見下ろしている。
「詳しい事は分からないんですの…」
麻魚は肩を落とし、自分の聖職者としては低い法力に言葉を無くす。だが、眉を寄せ気を落とした顔のまま、それでも顔を上げると、
「わたくしの予想ですけど、これはドレイクが復活したとしか思えませんの」
「ドレイク?」
矢継ぎ早に聞き返す真に、今度はキラリが答えた。
「遠い昔に沈没した海賊船の船長の名前がドレイクって言ってね、その後浄化されるまで海を渡る船をことごとく沈没させていた悪霊よ」
「…はい、大まか騎士団に残っている資料でもそうなっているはずですわ。でも、実際は浄化なんてできませんでしたの。当時のプリーストでも封印が精一杯……」
「あの、疑問なんだけど、そのドレイクってどうやって船を沈めてたの? こんな風に気を失うだけだったら船なんて沈まないと思うんだけど…」
最もな質問に、麻魚とキラリは顔を見合わせる。だが、麻魚は口元に手を当てると、昔勝手に呼んだ資料を記憶の縁から思い出す。
「人の命を糧とする……」
ボソリと呟いた麻魚の言葉に、真とキラリはぎょっと瞳を大きくする。
「まさか、今意識のない人って…」
「もし、これが本当にドレイクの仕業でしたら、早く浄化するなり封印しなおさないと本当に死んでしまいますわ」
でも…と、躊躇いがちに麻魚は言葉を紡ぎかけたが、真とキラリはもう立ち上がり、その言葉を遮ってしまった。
「浄化も封印もできないなら、倒せばじゃないですか」
麻魚が口に出そうとした自分の力不足を、真はこの一言で一掃してしまった。
「そうね、名案だわ」
キラリもにっこりと微笑み、その案に同意する。
麻魚も初めは驚きに瞳を丸くしたが、すぐさま笑顔を取り戻し、立ち上がる。
ふと振り返り踊り場に寝かせてある自分の姉を振り返る。一向に起きる気配のないキララにキラリは溜息をつくと、
「姉さんったら…」
あの計算高く自分より死地を渡り歩いてきたキララが、簡単に何かの策略にはまるとは到底思えなかったが、事実は事実として受け止めることにした。
「わたくし、不死者の瘴気程度なら感じ取れますわ!」
麻魚を先頭として船の中を駆ける。廊下や階段付近で倒れている人も居たが、いちいち介抱するほどの余裕もない。
デッキに出ると、連絡船は真っ白な霧に覆われ、眼前に壊れた船がやけに大きな影のように見えた。
壊れた船のデッキに乗り上げるような形に連絡船は停泊していた。
「あの船から大きな瘴気がいたしますわ!」
肌がぴりぴりと吊る感覚に、麻魚は顔をしかめる。
「早くしないと…」
キラリは連絡船の手すりに足をかけ飛び降りる。警戒する様に辺りを見回して連絡船の上の二人を見上げる。
「呼ばれてる…気がする……」
船を目の前にして、真はボソリと呟いた。
「……え?」
麻魚はその小さな呟きに気がつき真を見ると、真はいきなり駆け出し手すりを飛び越え、壊れた船の中へと駆けて行く。
「し…真?」
「真さん!」
麻魚は手すりからその姿を見下ろし、キラリは真の後を追い駆けようとしたが、船の上の麻魚を見上げると、麻魚も連絡船から壊れた船に降り、キラリの前で頷くとそのまま船の中へと走っていく。キラリもその後を追う様に走る。
壊れた船の中は床に水が溜まり、海洋生物がうようよと漂っていた。そんな人畜無害とは言いがたいが手を出さなければ何もしてこない生物達は無視して真っ直ぐ進む。
階段を降りたところでうようよと触手を出しているヒドラを目に入れて、真はうっと息を呑んだ。
「ニューマ!」
立ち往生している真の後から、遠距離攻撃を防ぐ結界の役割を果たす青い光が足元から立ち上がり、振り返ると麻魚とキラリが駆け寄ってきた。
「もお、真たら、心配させないで」
腰に手を当てて息を吐くキラリは、口をへの字に結んで少し機嫌が悪い。
「そこに居るのよ」
麻魚は切れたニューマを真に賭けなおし、キラリは腰の大剣でヒドラを一閃で屠る。その剣技に自然と溜息が漏れる。
―――騎士とは、皆こんな風なのだろうか
世界を放浪しているキラリのような騎士の方が特殊で、騎士の技を一般市民が見ることなど王家主催の祭典くらいしかない。それを、身近で見たのだから自然と溜息が漏れる。
「真さん、呼ばれてるって言いましたわよね?」
2度目のニューマの効力が切れるより早くヒドラを一掃させたキラリも大剣を鞘に仕舞い戻ってくる。
「さっきはそんな気がしただけど、今は全然です…」
いきなり飛び出して心配かけてしまった事に、多少の申し訳なさを感じて俯く真に、
「行きましょう? 先は見えてるんだし」
キラリはヒドラを越えた先を視線で促して足を進める。
また階段を下り、内部構造を確認する。一直線距離の扉の前でヒドラが群宣しているのを見ると、面倒くさいのと触手が気持ち悪いと言わんばかりに全員肩を落とす。
何が起こるか分からない船の中で、最初は右への通路を通ると、元々寝室だったらしく腐食したベットが転がっていた。また左右に分かれた通路の先も同じ様な部屋で、箱や机が腐食して転がっている。
結局何も無いので、やっぱりヒドラは後回しで左の通路を行くと、元々食料庫だったらしい広い部屋が一つあったが、それの部屋があっただけで後は見新しい物はなかった。
だが、突然ヒュオ~っと言う擬態がそのまま当てはまるような音が背後で駆け抜ける。
その音が背後でしてすぐに、カンッと金属がぶつかる音がして真と麻魚はばっと顔を向けると、キラリはそちらに視線さえも向けずに無造作に愛用の大剣を鞘から抜いていた。
その大剣で防いだのは、バンダナを着けた骨が振り下ろした円月刀だった。
そんなキラリと、バンダナ骨が対峙していようとも、あのヒュ~っという音は途切れることなく聞こえている。
一気に背筋を駆け上がった寒気に振り返ると、人の頭ほどの大きさの白い物が浮いていた。
その中心辺りでくるくると回る目のような黒い影。
振り返った早々いきなり体当たりを浴びせられ、ぐっと蹈鞴を踏む真。
「たぁ!」
振り上げたツルギはスカッと白い物体をすり抜け、前のめりに倒れ掛かる。
「効かない…!?」
自分のツルギを見直して、もう一度振り上げたが、やはり先ほどと同じ様にツルギの刃はすり抜けてしまった。
「古代ゲフェニアのウィスパー……」
今ではもう封印されてしまったゲフェンの塔の地下にあると言う魔界を繋ぐ古代遺跡がある空間。麻魚は聖水の入ったガラスの小ビンを取り出すと、
「このモンスターに無属性攻撃は効きませんわ!」
早口に呪文を唱えようとした麻魚の言葉で、ふとしたことを思い出す。徐に腰に視線を向けると、結果的にキララに貰ってしまった炎の力を持っているらしいカタナ。
真はツルギからカタナに持ち替え、ウィスパーに切りかかった。その瞬間、麻魚の祝詞が真に降り注ぐ。
「おお 其は神の泪 天より与えられし聖の雫…アスペルシオ!」
刀身からほのかにオレンジの炎の気を放出しながら、武器に神の洗礼を与える祝詞を受けて、真は一気にカタナをウィスパーに向けて振り下ろした。
自分にもアスペルシオの祝詞をかけた麻魚は、自分もウィスパーに向けて鈍器を振り下ろす。
ドゴッと明らかに物理的な音がして、ウィスパーの頭部辺りが凹む。
だが、ボンっと風船が元に戻るように元の人の頭ほどの大きさに戻った。逆に、中途半端に攻撃した事で怒っているようにも見える。その証拠に、目だと思っていた部分がくるくると円を画いていた。
そんなタフなウィスパーを目の前にして、麻魚の口元が軽く吊りあがる。
「ふふ…♪」
真はぎょっとして顔を向けると、きわどくスリットの入った長いワンピースを風に躍らせ、規則的な音を立てて振り下ろされる鈍器の音に目を見張る。
「ふぅ」
ポカンと口をあんぐり開けていると、キラキラ光る汗を拭うように満面の笑みの麻魚が手の甲で額を拭っていた。
「麻魚さん……」
ペシャっと水風船が弾ける様に床に溜まった水に沈むウィスパーの残骸になぜか同情してしまった。
キラリにとって見ても、海賊骨程度の相手では歯が立たなかったらしく、骨の残骸が水に沈んでいた。
「タマ大きくなったかしら…」
そんな骨をしげしげと見ながら、ボソリと呟いた言葉が怖い。
(人骨食べるんですか……?)
公務員と言う物はどこかしらズレているのだろうか? そんな事を遠く考えていると、
「「さあ行きましょう」」
と、見事に声をハモらせて二人は真に振り返った。
「あ、ハイ」
一人だけ常識人と言うもの時に辛いものである。